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- 2015.07.24
- 小林一三さん
突然ですが、阪急・東宝グループの創業者である"小林一三"さんをご存じですか?
現在スポーツ解説などでもお馴染みの松岡修三さんの曾祖父にもあたる方なのですが、私は10年ほど前に仕事の関係でこの方の存在を知り、『アイデアの神様』と呼ばれ現在の私鉄経営のモデルの原型を作りあげられた小林一三翁を大変尊敬しているのです。
現在、阪急や阪神、京阪など関西にも多くの私鉄がありますが、そもそも鉄道運営を生業とされていた鉄道会社が沿線に百貨店や娯楽施設、また住宅開発をするという都市開発・流通事業を幅広く展開する礎を築かれたのが小林一三翁なのです。
例えば、今では当たり前にある鉄道会社系の百貨店ですが、当時外商が主流であった百貨店を阪急電鉄の路線の起点である梅田駅でターミナルデパート「阪急百貨店」という直営百貨店として日本で初めて開店しました。
また娯楽事業では沿線に数多くの娯楽施設を開業し、宝塚歌劇もその一つです。
電車に乗っている際によく見かける電車の中吊り広告、当時駅の有料広告さえない時代にこの中吊り広告のを生み出したのも小林一三翁です。
住宅に関することで言えば、都心に通勤するサラリーマンをターゲットに池田室町で分譲住宅を開発、サラリーマンでも購入できるよう初めて割賦販売(分割払い)を実施、こちらもこのような住宅地開発としては日本発の事例だそうです。
このような多くの事業を展開し、常に大衆の目線になり沿線に活気を生み出された小林一三翁なのですが、もちろん全てが成功した訳ではなく多くの失敗もあったようです。
ただ常に新しいことにチャレンジし多くのモデルを作り出し、当時はなかったことを現代の当たり前にした偉人はやはりすごいですね!
最後に私の好きなエピソードの一つをご紹介。
前述のとおり営業がスタートした阪急百貨店には大食堂がありました。
食堂の人気メニューはカレーライス。しかし時代情勢なども大きく影響し、カレーライスではなく安価なライスだけを注文し、食堂に備え付けの福伸漬やソースだけで食事をする客が増えました。
もちろん経営する百貨店側の上層部はそのような客を排除したかったので対策を打ち出そうとしましたが、小林一三翁は「今は貧乏だが、いずれ結婚して子どもを産み、家族を連れてまた来てくれるだろう」と言うような言葉で諭され、逆にライスだけの方も歓迎すると広告されたとのことです。
その後、当時飢えを凌いだ多くの方が、当時のお礼の意味を込めて高い追加代金をそっと置いていくこともあったそうです。
素敵なエピソードですね!